2016年06月04日
宙に浮く部Ⅱ クレインガールの思慕
クレインガールの思慕
1
「あと半年です」
それを聞いた私は、何も言葉を発すことが出来なかった。
頭の中が真っ白になって、同じことをまた繰り返した。
「今、なんて、」
「…お母様は末期の脳腫瘍です。もう半年が限界かと」
私の母は数日前突然倒れた。
うちはいわゆる母子家庭で、母は地元の銀行で事務をしている。私は烏集院高校の1年で、音楽部に所属していた。
父は早くに亡くなっていたので、女手一つで私を育てた母は強かった。
そんな母を見て、私も強くなろうとして育つ。
その日はちょうど母が給料日で、いつもよりほんの少し豪華な夕食になるはずだった。
今日はケーキがあるかも。
にわかな期待に心を踊らせながら、自宅のドアを開ける。
「ただいまー」
返事がなかった。
ドアの鍵は開いていたし、着く前に部屋の明かりを確認した。
鍵をかけず出かけるなんて今までなかった。ただ気づいていないだけだと思ってリビングへ向かう。
「お母さん、ただい」
その後のことはよく覚えていない。
おぼろげに、倒れている母に呼びかけ続けていたことは頭にある。
私の前の白衣の男は沈痛な面持ちで私を見ている。
今の私の顔はどんなことになっているだろう。目は痛くないから、泣いていないことだけは分かる。
しばらく私は黙っていた。何を言うべきか分からなかったのだ。人は本当に絶望すると何も感じないのだと、この時知った。
「…半年、ですか」
「最低半年です、治療によっては1年、1年半年と」
「そうですか」
それでも母が近いうちにいなくなってしまうのは変わらない。
父はいない、母ももうすぐいなくなる。
私は不幸なのだろうか。
私が病院の先生から話を聞いて、部屋を出ると、母方の叔母が待っていた。
叔母は、うちが母子家庭になってから頻繁に顔を出してくれる優しい人だった。
彼女は現在独身で、数年前に離婚を経験している。子どもはいない。だから私を実の子のように可愛がってくれていた。
母と違って勝気でサバサバしているので、時々びっくりすることを言う。あと涙を見せない。
そんな叔母が私を見た瞬間に泣き出した。
私の代わりに泣いてくれたのかもしれない。
「お母さん、あと半年だって」
私の言葉で更に嗚咽が大きくなった。
私はその場に突っ立っているだけだった。
***
少年はくしゃみをした。ついでに鼻をすする。
風邪だろうか、噂だろうか。そう思考を巡らせつつ周りのことはさも見てない振りをして、窓際で必死に鶴を折る少女を見つめていた。
1年3組の教室。現在は昼休みである。
大半の生徒が教室におらず、自由に過ごしている。少年としても図書館に行こうと思っていたのだが、どうも彼女が気になってしまう。
少女の名は深谷季子。音楽部。
一週間ほど前、母親が脳腫瘍で倒れた。かなり末期らしいと聞いている。
入院先は隣の市の大学病院。季子はほぼ毎日通っている。
と、教師が職員会議で言っていた。無論生徒には他言無用。
クラスメートにはやんわりと告げられている。
ただし彼女の母が体調を壊し入院しているということだけだ。脳腫瘍だとか、この先長くないとかいう話は高校生には聞かすことはできない。
しかしそういう状況で何故少年が知っているか。それは彼の部活動柄に関係する。
季子はクラスでそれほど目立つわけではないが、数人の女子と話しているのをよく目にする。入学して6か月になるため、友人ができるのも時間とともに分かっていることだ。
その友人たちが鶴を折るのを手伝わないのは何故だろう。
何か別の用事でもあるのか、それとも。
目を思わず潜める。
机の上には溢れんばかりの折り鶴が置かれ、それは多色に及んでいた。しかも注視したところ、彼女はあまり手先が器用ではないらしかった。
所々羽は曲がり、くちばしは歪み。段々と上手くなっていっているようだが、それでも綺麗とは言い難い。速さもない。
少年は席を立つと季子の所へ歩いていく。ちなみに少年の席は窓側から3列目の一番後ろ。通称・天国席だ。そこから彼女に近づく場合、後ろから攻める形になる。
横から現れた影に季子は椅子から数センチ浮いた。驚いたのも無理はないが、少年はそれを無視して言う。
「一人で大変じゃない?」
「え、」
「その鶴。千羽折るんだろ?」
季子は不思議そうな顔をした。どちらかと言えば不審に思う顔だった。まさか聞かれるとも、話しかけられるとも思っていなかったのだろう。
「一緒にいる女子とか、手伝ってくんないの?」
「ほ、他の子は用事があったり、するし、」
「普通手伝うと思うんだけど。薄情だとか思わね?」
少年の言葉は明らかに季子を怒らせようとしていた。本人にその気がないとしても、彼女にとっては嫌なものだった。
希子は露骨に嫌そうな顔になる。
「・・・君さ、優しすぎると思うんだよな」
そう呟くと一枚、折り紙を手に取り鶴を折り始めた。向かいの席にまたがるように座り、季子と向かい合う。少年は季子よりかなり速く、手際良く、鶴を作り終えた。その後も無言で折り鶴を机に積み重ねていく。
「あ、あの、」
「何?」
「別に、手伝わなくていいよ」
「手伝ってるんじゃないよ、作りたくなっただけ」
少年は薄く笑って季子を一瞥する。あどけない少年のようで、大人びた雰囲気があった。
少年は決して目立つタイプではない。あくまで性格上は。顔は、黙っていても目立つ。
全体的に色素が薄い。髪は背景が透けているように感じ、雪のように白い肌。栗色の瞳。一言で表すならば西洋絵画に描かれた美しい少年。まさに作り物のようだった。
少し動くだけで目を引く彼。そんな彼に話しかけられた挙句、目の前で鶴を折られるというのはどういう心境か、それは季子にしか分からない。
クラスメートの少年はひとしきり鶴を折っていた。季子もたどたどしい手つきで鶴を折っていた。
「今何羽くらい折った?」
「え、っと、家に結構あるから、」
「100くらい?」
「そのくらい、かな」
季子の答えを聞くと、急に少年は手を止めた。
「・・・スケット部って知ってる?」
「え?」
「スケット部。名前そんまま、助っ人してくれる部活」
「い、や、知らない」
季子が恐る恐る答えると少年はまた手を動かし始めて、同時に喋り出す。
「その部活、何でも助っ人してくれるらしいよ」
「へぇー・・・」
「だから深谷も行ってみれば?」
名前を呼ばれて思わずぎくりとする。目の前の少年はさも当然のことだと言わんばかりの落ち着き振りだ。
こうなれば季子も冷静にならざるを得ない。
「あなたは、スケット部を知ってるの?」
「まあ・・・それなりに」
「助けてもらった、とか?」
「そういうわけじゃないけど」
少年は会話をしながらも黙々と鶴を折り続けていた。
「まあ、行ってみたら」
「う、うん」
「じゃ」
これが最後だと言うように、赤い鶴を折りあげると立ち去って行った。あとに意味深な笑顔を残しながら。
その笑顔の意味を、季子は一生知ることはない。
続
Posted by ブックセンターめいわ at 01:24│Comments(0)
│創作小説